築地本願寺 慈光院 築地本願寺 慈光院

慈光院の歴史

慈光院の建っている場所は、1923(大正12)年9月、関東大震災で3万8千人余の焼死者を出した、陸軍本所被服廠跡です。震災後、築地本願寺、京都の本山から早速、救護の手がさしのべられ、救護所(現在のあそか病院)・託児所(現在の江東学園幼稚園)が、そして焼死した人々の追悼の場として、また残された者の心のより所としての説教所が設置されました。説教所は昭和3年9月1日、慈光院として、間口7間2尺奥行10間の本堂が新築され、御本尊の阿弥陀如来像は、京都美術学校教授森鳳声氏の作で、木曽桧を材としています。 以来念仏興隆の道場として、また地域の人々の精神的支柱としての歩みを続けています。

旧本堂内陣 旧本堂全景

昭和20年3月9日夜の東京大空襲では、本所地区は焼土と化し、慈光院にも焼夷弾が落下しましたが、地元横網町会、本所消防団員の献身的な消化活動によって、焼失をまぬがれたと言います。戦後は大小さまざまな波乱を越えて、昭和30年の関東大震災33回忌を契機として、布教伝道の充実がはかられ、昭和33年3月には鐘楼が建立されました。以来、本所の地にその荘重な音色が流れるようになりました。昭和53年、本堂建立50周年にあたって慈光院門信徒はもとより、地元町会の支援によって、本堂改修が行われ、あわせて庫裡、境内の整備も完成し、浄土真宗弘通の道場としての偉容を完成した。
 平成28年4月、新たな始まりとして慈光院本堂の改築が行われ、新本堂が完成しました。

旧鐘楼堂 旧本堂と幼稚園